p31~ △知らなければならない神国の尊厳と天国の意味 このように談じこのように論じてくると際限のないことながら、最も肝要な事を記すこととする。我らはかたじけなくも生をこの世にうけ、なんら報恩の記すべきものがないのにかかわらず、このように目の当…
事を行うエホバ、事をなして遂げるエホバ、その名をエホバと名乗るものはこう言うなんじ我に呼びもとめよ、我はなんじに答えよう。またなんじが知らない大いなることと隠れていることをなんじに示そう。 (旧約全書エレシヤ記三十三章二の三) 叙事 一、国民…
目次 猶太人問題の全貌標題目次一 驚くべき猶太人の勢力/3二 最近の猶太人問題/6三 猶太人問題とは何か?/10四 フリーメーソンと猶太人/19五 猶太人の人口及財力/22六 日本の猶太人對策/28 『猶太人問題の全貌』山川直夫 著 一 驚くべき猶太人の勢力 世の中…
お断り 本篇は日本外交協会第百九十二回例会において軍令部第三部海軍大佐犬塚惟重氏が試みられた講演の要旨を本協会幹事において筆録したものであるが講演者の査閲を経て少数部複写し会員各位の資料として頒布するものである 昭和十二年七月 日本外交協会調…
支那事変をめぐるユダヤ民族の動向 海軍大佐 犬塚惟重 ○ユダヤ問題認識が困難な理由 私は従来ユダヤ問題については公開の席上では話さないことにしておりました。それは短時間に納得のいくように話すことは、難しくかつ思わぬ誤解を招くおそれがあるからであ…
第五十九 総括 国民の覚悟 学習目的 国初から現代に至るまでの国史の大略と要点を想起させ、そこに我が国の国史生活発展のあとを省み、もって今後国民が覚悟すべき点がどの辺に存在するかを会得させようとする。 学習事項 (一)我が国の国体の尊厳 我が国の…
p333 第五十八 大正天皇の崩御 今上天皇の即位 学習目的 大正天皇崩御のことから天皇の御聖徳を偲び申し上げ、今上天皇の践祚並びに即位のことから国家的発展を認感させ、かねて聖旨によって将来国民の向かうべきところを会得させる。 学習事項 (一)大正天…
第五十七 欧州の大戦とわが帝国の地位 学習目的 欧州大戦に加わった我が国の正義と活動について、皇太子が欧洲を巡遊しなさることがある。ワシントン会議に参加することがあって、我が国がいよいよ世界的に重きをなすに至り、戦後は外交の中心が東洋に移って…
第五十六 明治天皇の崩御 大正天皇の即位 学習目的 明治天皇及び昭憲皇太后の崩御につきわからせ、御霊徳を偲び申し上げ、皇室に対する国民意識を喚起し、大正天皇の践祚と即位を学習して国体観念を強め、国運の無窮と国民の幸福を認識させる。 学習事項 (…
第五十五 国運の進歩 学習目的 主として第四十九「文化の発達」以後、すなわち明治二十七八年頃以後における、明治時代の国防・経済・通信交通の機関・学芸・美術工芸・博愛慈善などの進展について学習し、当代がよく驚異的に文化の発展をしたことを認感させ…
第五十四 韓国併合 学習目的 韓国を併合するに至った次第と意味及び併合後の施政についてわからせ、さらに対外関係のことから、世界的日本の国家的発展を中心として認知感得させるのが主眼である。 学習事項 (一)韓国の保護 韓国はとかく他国の圧迫を受け…
第五十三 明治三十七八年戦役 学習目的 明治三十七、八年戦役の始めから終わりにつき学習し、国家的発展の認識を中心として、道徳その他文化の総合的発展の事を暗示する。 学習事項 (一)ロシアとの交渉 北清事変も一段落となって、三十五年一月七日すでに…
第五十二 北清事変と日英同盟 学習目的 北清事変の始めから終わりより、第一次日英同盟が締結される次第を学習し、我が国が東洋平和の中心であり、世界に重きをなすに至った国家的発展を主として、認知感得させたい。 学習事項 (一)諸外国は清国に利権を求…
七月三十日、日本新聞は英国公使が征長に関し局外中立を布告した理由を報じる 〔尊攘録新聞紙並びに夷情探索など〕 日本新聞第五十二号西暦一千八百六十六年九月八日我が国の慶応二年七月三十日 日本政府がドンバルトル船を買う価格が十八万元の理由である ○…
九月十九日、フランス国公使は書を閣老に贈って開港の必要を説明し、かつ薩長はすでに開港の約束をイギリス人と結ぼうとするという書状を告げる 〔御飛脚前探索筋が申し上げる御家老達などの控え帳〕 御城から里内持ち帰り フランス国から内々に差し出します…
〔慶応元丑年 開成所おいて横浜新聞紙写し取り差し上げます控え〕 日本新聞第十三号 西暦一千八百六十五年十二月一日すなわち慶応元年乙丑十月十四日横浜刊行 去月二十七月すなわち我が国の十月十日英船プリンセス、ロヤール、ペロリニス仏船ドブレイ、キン…
〔慶応元丑年 開成所において横浜新聞紙を写し取り差し上げます控え〕 日本新聞第十七号 西暦一千八百六十五年十二月二十九日すなわち 慶応元年十一月十二日 横浜開版 英国勅使大臣ハルリー、パルケス〔※パークス?〕は日本と外国の交際中、最も緊要な時にあ…
七月二十八日、閣老小笠原長行は小倉の戦況を大阪の閣僚に報告す 〔尊攘録諸家建白ならびに届書等〕 小笠原壱岐守小倉から大阪詰閣老へ昨二十七日朝六時、長州の賊は蒸気船に乗り組み、門司〔※北九州市〕から上陸及び炮発、引き続き次々と多人数で上陸。長州…
八月三日、在長崎の荘村助右衛門は閣老小笠原長行の動静、諸藩兵の小倉撤退及び本藩の銃器弾薬購入などに関する報告を行う 〔慶応二年寅年 尊攘録探索書〕 慶応二年八月長崎から荘村の手紙が届く 昨日までに町方の炊き出しが一千人を超えますようなりました…
四月二十八日、在長崎の本藩士、荘村助右衛門は、天草動揺に関する事情を在国の坂本彦兵衛に報す 〔慶応二丙寅年尊攘録探索書〕慶応二、四月二十八日、長崎発の荘村の来信、五月三日着天草の事 密啓 この度、天草島中に少々動揺のきざし、これがあります様子…
十月二十六日、在長崎の荘村助右衛門は、越前藩士瓜生三寅が三国軍艦の摂海入津、外国条約勅許などに関し、英国船将と問答した要領を藩政府に報告す 〔元治元年から慶応元年まで 探求書、尊攘録探索書〕 荘村助右衛門の書状の写し 寸紙に記録し差し上げます…
八月六日、在長崎の荘村助右衛門は、幕府軍艦の集合、閣老小笠原長行の長崎退去、小倉戦争当時の幕府軍艦逡巡の状況などを、奉行田中八郎兵衛などに報告す 〔慶応二年丙寅年 尊攘録探求書〕 慶応二年八月六日、荘村長崎の報告 (前文は七月二十八日の条にあ…
六月十一日、在長崎の荘村助右衛門は英国公使パークスの行動に関するフルベッキの談話を奉行道家角左衛門に報告す ❲慶応二年正月より 探索書控❳ 謹んで記し上げ差し上げます。港内の事情は長崎にお出での最中にご見聞の通りで御座いますところ、またまた大い…
(4)韓国の成立 我が国と朝鮮とは明治二十七年八月二十六日攻守同盟を結んだことは前に述べた。その十月、内務大臣井上馨が特命全権公使として京城に駐在するに及び、施政綱領二十条を定め、諸般の改革を行わせ、朴永孝・徐光範などを内閣に入れ、邦人は多…
(四)清国と和を結ぶ 清国政府は連戦連敗、大いに恐れて米国政府に頼って、講話の議を開くつもりのことを求め、李鴻章を我が国に遣わして和を請わせた。我が国は内閣総理大臣伊藤博文・外務大臣陸奥宗光に命じて三月二十日から下関春帆樓上で会見し談判を始…
(4)日・清・韓三国の交渉 ここにおいて清国は、東学党をすでに平らげる上は、日本の兵を撤回するのがよいことを求めた。我が国は禍根を絶つために、共に協力して朝鮮の弊制を改めるのがよいことを申し込んだが、清国は応じなかった。この上は我が国は独力…
第五十一 朝鮮の事変と明治二十七、八年戦役 学習目的 隣国朝鮮との事変から、ひいては明治二十七、八年戦役に至る次第と事実を学習させ、我が国の国家的発展について会得させ、併せて国家と国際の生活、文化と戦争などについて適切な考察を行わせる。 学習…
p223 第五十 条約改正と法典の編纂 学習目的 明治三十二年改正条約が実施されるに至った次第と、その頃の法典編纂の進捗についてわからせ、内地外交上の顕著な発展を認知感得させるのである。 学習事項 (一)条約改正に努む 安政五年(二五一八)に条約の草…
(四)新しい文学・芸術起こる 明治初年の文学はただ江戸時代の余勢を保っただけで、いまだ新興文学を見ることは出来なかった。仮名垣魯文の「西洋膝栗毛」はやや有名ではあるが、これは構想を東海道中膝栗毛にとって、弥次郎兵衛・喜多ハの両人が、横浜の豪…
p208 第四十九 文化の発達 学習目的 維新以来の経済界・宗教界・教育界・芸術界の進歩発展の次第をわからせ、洋風輸入と国粋保存の関係的変遷につき会得させ、日本独自文化の建設について暗示を与えるのである。 学習事項 (一)経済界の進歩 明治のはじめ市…