目次
猶太人問題の全貌
標題
目次
一 驚くべき猶太人の勢力/3
二 最近の猶太人問題/6
三 猶太人問題とは何か?/10
四 フリーメーソンと猶太人/19
五 猶太人の人口及財力/22
六 日本の猶太人對策/28
『猶太人問題の全貌』山川直夫 著
一 驚くべき猶太人の勢力
世の中には牽強付会なことを語って、世人を惑わすものがいる。当今の言葉でいうとデマである。今、ここに述べようとするユダヤ問題も、今まで関心を持たない人々が読めば、一種のデマのように思われるかもしれない。
しかしこのユダヤ人問題は、牽強付会の話でもなければ、デマでもない欧米では知られすぎる程に知られた事である。また、日本でも、だいぶんユダヤ人問題は注意するようになり、特に最近、ドイツの駐仏大使館書記官フォン・ラート氏が、一ユダヤ青年に暗殺されてから、新聞や一部の雑誌のにも書かれ、その上に二、三の新刊本も出版されて、世人の注意を新たにしている。
ユダヤ人問題は欧米においてのみその現実にぶつかるものとし、例えば日本は国内ユダヤ人も約二千名くらいで問題にならないゆえに、我関せずとして澄ましていた。だがこれは最早時勢を認識しないものとなった。
それでごく通俗的ではあるが、一通りユダヤ人問題を語って読者の参考に供したい。
さて日支事変が起こると、日本では長年親交があった英国を、援蒋の本尊として、いたく攻撃しているが、その英国英国というのは、いったい英国の政府なのか、国民なのか、はたまた、一部の財閥なのか、この点を明白にしていない。ただ抗英、排英を語るのみである。それなのに一度目を紙背に徹して観察するならば、英国の背後に、在支那のユダヤ財閥が、自己の利権擁護のために、蒋介石を援助し抗日戦をやらせているということが解るのである。換言すると、日支事変が在支那ユダヤ財閥と日本との戦いとも言える。
ちょっと極端な言い方であるが、「日清戦争も、日露戦争も、世界大戦も、大戦後のロシア革命も、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、その他の帝制の覆滅(ふくめつ)も、国際連盟も支那事変も、皆ユダヤ人の所業である」と言う人さえいる。
しかし、我々はこんな極端なことは信じたくない。だが、ユダヤ人は、古今最も頭脳が鋭敏な民族で、キリストもユダヤ人である。ドイツの詩人ハイネも、アインシュタインも、マルクスもユダヤ人だ。英国では十九世紀の偉大な政治家ズスレリーはユダヤ人である。世界第一の富豪ロスチャイルド男はその代表的な人物である。その他現代では蔵相として英国政界の巨人サイモンもユダヤ人である。米国に至っては、その金融界、音楽界、キネマ界にユダヤ人を見ないことはない。むしろ完全にユダヤ人に掌握されているのである。パラマウント会社が、ユダヤ人アドルフ・ツーカーによって経営され、チャップリンがユダヤ人であることはあまりに有名である。
満洲事変にちなんでは、例の有名なリットン報告書を作ったリットン卿、日支事変に関しては、支那幣制改革の大人物リースロース上海財界の巨富サッスーンは皆ユダヤ人である。
それに、今全世界の富の六、七割はユダヤ人によって占有されている。高橋是清公は日露戦争の時、外債募集の功労で、男爵を授けられたが、外債は多く、英米のユダヤ人すなわち、英国ではロスチャイルド財閥から、米国では、当時のアメリカ金権王として有名なクン・ロエブ・エンド・カンパニーの支配人ユダヤ人のマコブ・シップから借りたもので、彼らは日本をたすけたのは、高橋翁の手腕でなくて、ユダヤ人が虐待された帝制ロシアに反抗するために金を日本に貸して、ロシア国に反抗させたまでであるとさえ語る。
もし、以上の事は事実であるとすれば、二十億近い、世界人類が、わずかに千六百万人その他の準ユダヤ人を大ざっぱに合計して加えても、五、六千万人くらいのユダヤ人に、全人類、しかも、立派に民族的に強大な国家を有する日英米仏独伊以下の諸国が、翻弄されるという馬鹿馬鹿しいことはちょっと御話にならない。
しかし、詳細に調べてみれば、この国家なき人々であるユダヤ人は、以上の世界的動向に大きな陰立役者であることはいなむことができない。
「日支事変は在支那英国系ユダヤ人の陰謀である」
ということも、また、一応考えばければならない理由がある。
それに日本の国際的地位は、日に月に向上して、特に支那問題を着々と解決して、東亜連盟が確立されることとなるならば、資本関係の問題も生じ、ユダヤ財閥との接触も避けられまい。そうなればますます、ユダヤ人の本質を知り、これを研究して、帝国の国策を誤らないようにせねばならない。
二、最近のユダヤ人問題
最近のユダヤ人問題として取り扱われるのは、去年の十一月七日に起こったパリのドイツ大使館書記官フォン・ラート氏狙撃事件にからむドイツの反ユダヤ熱の再熱と、ドイツ・アメリカ両国国交の悪化と、同じく十一月十日のイタリア政府のユダヤ人排斥新法令の発布である。
十一月七日のフォン・ラート書記官暗殺事件というのは、既に読者が知っている通りであるが、この日の午前九時半頃、パリのドイツ大使館を訪れた一人の青年がいた。その青年はドイツ大使に伝えたい重要書類があるから、大使館の首脳部の人に会いたいとの事なので、係の者がこの青年をラート書記官の部屋へ案内すると、ドアを閉めるか、閉めない内に、五発の銃声と共に、ラート書記官が狙撃され、すぐに病院に運んだが、翌々日の九日に死亡した。そして犯人はヘルシュル・ギリンスバーンと称する、わずか十七歳のポーランド、ユダヤ人の少年で、悲惨なポーランド、ユダヤ人の境遇に憤慨して、報復的にこの暴挙をあえてしたものである。
ドイツはこの書記官の死を悼み、国葬の礼をもって葬り、ヒトラー総統以下その葬儀に列した。その上に、ドイツ国内の反ユダヤ運動に拍車をかけ、八日以来ドイツ各地に反ユダヤ人デモが行われ、ユダヤ教会の襲撃、放火、を見た、ために、ドイツ国内のユダヤ人の財産総計百億ライヒスマルクと推定される中、約十億ライヒスマルクの損害を被ったといわれ、その上に、次のような、ユダヤ人弾圧の新法令が発布された。
一、ラート書記官暗殺の罰金として、ドイツ国内のユダヤ人全体に対して十億ライヒスマルク(邦貨約十四億九千万円)課す。
二、最近ドイツ各地で起こった反ユダヤ騒乱は、ラート書記官暗殺に対する正当な憤激の表現であるから、損害を被ったユダヤ人教会、商店などは早急にユダヤ人自身の手で修理されるべきものとする。
三、一九三九年一月以降ユダヤ人が小売り商店通信販売業、商業代理店及び手工業の経営に従事することを禁止する。
ということになって、現在すでに医師、弁護士、銀行家などの職業につくことを禁じられているユダヤ人に致命的打撃となった。
このラート書記官問題は長引いて、独仏、独英の国交にも多少の波紋を及ぼしたが、幸いに大したこともなかった。イタリアはドイツと共に、反ユダヤ国であるから、十月に開かれたファシスト大評議会で、ユダヤ人排斥が議論され、去年十二月十六日のローマ電報は、イタリーにおけるユダヤ人の財産処分法は次のように決定されたと報じた。
一、ユダヤ人系イタリー人は総じてその所有不動産ならびに関係事業を放棄しなければならない。
二、一定限度以上の不動産はこれを新設処分機関に譲渡する義務を有する
他三ヶ条
しかし、以上の英仏伊の諸国の他に、このラート問題で、国交上までも影響を与えたのは独米両国の関係である。
米国における四百四十万のユダヤ人が、政界に、財界に、映画界に絶大な勢力を持っているのだから、ドイツのユダヤ人圧迫を黙視するわけはない。果然、十一月十四日に、ハル国務長官は、駐ドイツ、ウィルソン大使に対して帰還命令を発し、事実上の大使召喚を行い、翌十五日には、ルーズベルト大統領は、自ら声明書を発表して、ドイツ政府の措置に反対の意を表明した。
この米国の態度に接したドイツ政府は、対抗的態度を取り、十一月二十二日、駐米大使ディックホーフに帰還命令を発し、また、一九三九年のニューヨーク博覧会への出品を拒絶して、断固たる決意を示した。こんな状態であったのに、十二月十八日米国務長官が、クリーブラントで反ドイツ演説を行ったとして、両国の国交がさらに悪化している。
日本と、ユダヤ人との関係はどうかといえばこれは表面的にあらわれる何物もない。かえって一昨年十二月二十六日から二十八日の間にハルビンで開かれた極東ユダヤ人代表会議では、日満両国のユダヤ人に対する差別待遇がないのを感謝している。また、日本の代表者である樋口将軍も、これらの会合に出席して、
「我々はちっとも人種的偏見を有するものではない。ユダヤ人は我らの友であって、共に国際間の平和と親善のために協力しようとするものである。満洲国元から忠誠なユダヤ人の生命財産を保護するものである。」
と祝辞を述べたと言われている。だから八紘一宇の大精神の下には、まだ取り立てるほどの問題とはならない。
しかし、日支事変の進展と共に、新たに米支の借款、思想的排日、ソ連を使嗾して対日工作を行うという有り様で、その魔手がどんなに伸びるのか、ここが一問題となる。
三、ユダヤ人問題とは何か?
日本民族及び日本人を研究するのには、日本の歴史、伝統、習慣をなおざりにできないのと同じように、この世界化したユダヤ問題を明らかにするには、その民族の歴史、伝統習慣を極め、そうしてから、本質を語らなければならない。次にその大体を述べることにする。
世界に住む民族は、それぞれ一国家を形成してその存在を持続しているのであるが、このユダヤ民族は早く国が滅び、移動、分散、流転して、奇しき運命をたどる民族である。
歴史的に見ると、ユダヤ民族は、今から四千年も前に、メソポタミアの地方にエホバの神を奉じつつ遊牧していた民族である。そしてその族長アブラハムに率いられユーフラット河を渡り、カナンの地である今のパレスチナに定住し、さらに西暦紀元前一五五〇年から一三二〇年まで、約二百年の間エジプトに居住したが、一三二〇年(B.C)族長モーゼに率いられてエジプトを脱出して、カナンの地に復帰した。
それなのにユダヤ民族はその後十二支族に分かれて互いに争い、民族の統制が保たれないので、時の高僧サムエルは、ソールという人をたてて国王とし、ここに初めてユダヤ王国なるものを建設した。
このユダヤ王国では、ダビデ王、(紀元前一〇五五-一〇一五)ソロモン王(紀元前一〇一五-九七五)などの英邁な君主が出て、国勢が四隣を圧したことがある。ダビデ王は三十歳で王位についたが、智あり勇あり、国都をエルサレムにさだめ、在位四十年といわれる。ソロモン王はダビデ王の子で、賢明で、父王の遺業を継ぎ、エホバの神殿王宮を造り、外国貿易によって、巨大な財貨を貯え、すこぶる豪華きわまる生活ぶりであった。その王宮什器は金に糸目をくれず、金銀宝石を惜しげもなく使用し、さらに皇后の他に外国婦人を寵愛し、王宮には公女と称する婦人七百人、妃と称する婦人三百人は、互いに絢爛の美を競ったといわれる。いわゆる「ソロモンの栄華」とはこのことである。だが、こんな栄華は永く続くわけなく、平家の栄華、フランス国ブルボン王朝ルイ十四世の栄華、秦の始皇帝の阿房宮の後と、類例を挙げるまでもない。このユダヤ国も、ソロモンの死後、北はイスラエル、南はユダヤ国と二つに分かれ、宗教上の争いなどから次第に国力が衰微した。この時、アッシリア国が起こり、ユダヤ国を征服し、次いで、エジプト、バビロニア、シリアなどに征服され、紀元前六三年、我が国の崇神天皇三十五年頃、ローマの将師ポンペーに攻略され、その後数百年の長い間完全にローマ帝国の治下に入った。
ここで話は少し岐路に入るが、いったいこのユダヤ民族は、建国の物語からして、苦難流離の悩みを重ねている。すなわちユダヤ人の大祖先のアブラハムの子にイザークがいて、イザークの子にヤコブがいる。ヤコブの子女は甚だ多く、特に末子ヨセフを鐘愛した。それが諸兄のにくむところとなって、ヨセフは井戸の中に投げられ、旅人に救われて奴隷に売られてエジプトに至り、賢明なため大宰相となった。このヨセフは中興の祖である。また、紀元前五八六年にバビロニア軍に首都エルサレムが攻略された時に哀れにも、ユダヤの貴族は捕らえられて四十八年間バビロン府で苦役した。この二つの物語が、ユダヤ人の現在までの境遇を雄弁に語るもので、流浪民族の悲哀を、そぞろ涙なしには読まれないものがある。そしてこの悲哀が多民族への復讐と化するのである。
話は元に返って、ローマに征服されたユダヤ人は、たびたび反乱を企てたので、西紀一三五年パレスチナを追放され、四方に分散し、流れ行く先々にユダヤ人部落を造り、そこに落ち着いた。この異邦におけるユダヤ人の集団生活を「ジャスホラ生活」と呼ぶ。
ユダヤ人の流浪生活は一通り記述したから、次に、彼らの恐るべき革命思想について語る。
元から、二千数百年前にすでに早くも国家を失ったユダヤ人、「ジャスホラ生活」に入った彼らとしては、天下に失うはずの国家がないから、この点はすこぶる安心である。その腹いせとして革命の思想を吹聴し、共和国と自己と自由とを獲得するに努めた。
すなわち、彼らは、いよいよローマの治下で四分五列し、三々五々の形となって世界を流浪することとなるとユダヤの有力者は考えた。
「ユダヤ人はもはや再びパレスチナに帰り、ユダヤ国を建設することは到底おぼつかないことである。しかしこのままでいては、ユダヤ民族は次第に他国に流れ流れて、ついに消滅してしまうであろう。このような理由で、我らは、ユダヤ民族の永遠の存在のために、例え国家を失っても、精神的な国家を創設しておくことが必要である。」
ということに着眼した。そしてユダヤの賢者たちが集まり、ユダヤ精神王国を建設した。
そうであるならば、この精神王国とは何かというと、これ、すなわちユダヤの大聖典タルムードそのものである。ユダヤ人はこのタルムートによって、いかなる苦難に逢うとしても、自分はユダヤ民族であるという、堅固な意識と、団結とを保ち、他の民族の間にいても、常にその民族的純潔を維持しつつ、今日に至ったのである。
また、一方では、外国に追われ、再びローマに抵抗して、パレスチナを占領することが出来ないと考えながらも、自分の故郷に対する愛着の念はこれを捨てることはできない。そこで彼らは、至る所のユダヤ部落が、互いに連携し、一般同族に自由独立の思想と革命思想とを熱心に吹聴し、時にはローマに反乱の戦いをうかがい、時にはパレスチナに攻め入ったこともある。
こうした事態の下にいるユダヤ人は、二千年の昔、伊達や、見栄でなしに、自己の民族的生存のために、革命思想をいだくに至った。
現在、世界の恐怖となっている、赤色革命にしても、その根元は、皆ユダヤ人である。一々挙げることもあるまいが、ロシア革命にレーニン、トロツキー、ヨッフェ、ジュノウィーエフなど無数のユダヤ人、ドイツ帝制の革命はリーブクネヒト、ハンガリー、スペイン革命におけるペラ・クン、アイルランド革命におけるド・ウアレラ及びロバート、ブリスコ、青年トルコ党の革命におけるジャウイット・パシャ、学者、思想家としては、ハイネ、カールマルクス、ラサールなどのユダヤ革命家を見るのである。
今や、一方には資本と金融を握り、一方には共産主義という両様相容れない二刀を用いて、ある時は赤化に、ある時は世界の混乱に、様々なはかりごとをめぐらせているのがユダヤ人なのである。
この恐るべき革命思想を有するユダヤ人が最も華々しく活躍した舞台は、どこであるかといえばそれはロシア革命であった。そして今もなお世界赤化の戦を続けようとしているのである。ゆえに次に少しロシア革命とユダヤ人との因果関係を語る。
帝政時代に遡らなければ、ロシア国革命は語られないが、帝制ロシアは今の波乱を包含していたので、そのユダヤ人は六百万人以上で、当時世界のユダヤ人口は、約千三百五十五万人といわれたから、帝制ロシアは、世界ユダヤ人口の半数近くを保持していた。したがって、ロシアには、昔から、ユダヤ人に関する様々な問題を惹起し、また、様々な有名な人物も輩出した。これと同時に、ユダヤ人を虐待したことも有名な事実である。ロシア語の「ポグロム」というのは「ユダヤ人狩り」というので、ロシアの官憲が、ユダヤ人をゲット(ユダヤ人街)から追放することがたびたび行われた。
それならば何故に「ポグロム」が行われたかというと、一つの理由は、ロシアはキリスト教の中でも最も堅苦しいギリシャ正教国であった。したがって厳格にユダヤ教を奉じるユダヤ人との相互反感が最も激しい。
また、民族的に見て、スラブ人とユダヤ人とは氷炭相容れない。その上にユダヤ人は、他種族と相容れない持ち前の狡猾、排他的利己心が、他種族から忌み嫌われる原因の一つである。
だから、ロシア帝イワン四世が一五六三年にポロツクを攻略した時、同地のユダヤ人をいかに取り扱うべきかの問いに対して、極度にユダヤ人を嫌悪した皇帝は、「三分の一は追放し、三分の一は改宗し、三分の一は水に投じよ」と宣言したことは有名な話である。かのロシアの英邁なピョートル大帝さえユダヤ人には好感を持てなかった。
こうして歳月が進むと共に、ユダヤ人の圧迫が行われ、ニコラス一世時代(一八二五年頃)に改宗を強制し、一八五五年アレキサンダー二世の時代に至り、大いに緩和されたが、アレキサンダー三世及びその子ニコラス二世時代に入って、またまた峻烈になった。
こんな国情であったから、ユダヤ人はその虐待に耐えることができず、自由の天地を米国に求め、移住した者は、西暦一八八二年から一九〇六年に至る二十五年間に、二百万人を突破した。この米国に移住したユダヤ人が、帝制ロシアに復讐として、革命を行うに至ったのである。まず、日露の戦いには、日本に金融その他の援助をして、抗ロシアをたすけた。当時は、米国の金融界は、完全にユダヤの独占である。また、ロシア内部からは、革命の直接行動を企てた。有名な話であるが、明石中佐(後の大将)が日露戦役中、スウェーデンに隠れて、ロシアの国内革命、混乱を使嗾したが、ユダヤ人との連絡があった。また、ユダヤ人が米国にいて、いかに反ロシア的態度を取ったかは、ポーツマス媾会議のロシア国全権大使ウィッテ伯の回顧録にもよく出ている。また、タフト大統領時代にユダヤ財閥の巨頭が、大統領に米露通商条約廃棄を強要し、これを実行させた。こうして虎視眈々であるユダヤ人は、一九〇五年以来、着々と破壊工作に手を緩めることなく、依然行進を持続した。欧州大戦が始まって帝制ロシアの動揺がはげしく、一九一七年三月いよいよ大戦中のロシア都に革命の火蓋は切られた。人民は口々にパンを与えよと叫び、市内は騒然として鼎(かなえ)が沸くかのよう、首相リポウフは退き、ケレンスキー仮政府を組織し、三月十五日にはニコラス二世はロマノフ三百年の帝位から退位の勅令を発しなさり、さしもの大帝国も一瞬の間に崩壊した。
こう形勢が変化すると、ユダヤ人の革命運動はますます火の手を上げ、レーニンはドイツから四千万金マルクの軍資金を携えてロシアに飛び込み、続いてニューヨーク下町で、腕をおさえて待っていた所のユダヤ革命家は、陸続としてロシア革命の舞台に登場し、一週間に八百人づつも入露したといわれた。またこれと共に、軍資金として各方面のユダヤ人から寄贈された。例のユダヤ人で米国の富豪ヤコフ、シップが公開した所でも、彼がロシア革命のテロリストに提供したところの軍資金は千二百万ドルであるという。もってその全貌をうかがうことが出来る。
その後ロシア国の大革命が、皇室、貴族、富豪その他の旧帝制時代の支配者を倒して惨虐の限りを尽くしたことは、読者もすでに知ることであろうし、また、筆するにさえ忍びないのである。ある日本人が革命直後、この惨虐について、
「いかに共産主義反対者であっても、君たちのやり方はあまりにひどいではないか。」
と詰問したら、彼答えて曰く、
「我々ユダヤ民族が数百年来、ロシアの貴族らに虐待されたことを考えるならば、我々の復讐は実に微々たるものである。」
この一事が、いかに、ロシア人とユダヤ人とが反目していたかが解るのである。そして革命政府の首脳者は、大部分ユダヤ人である。レーニン、トロツキー、ヨッフェ、カーメネフ、リトウィーノフなど皆どれもこれもしかりである。
ロシア革命の他に、ハンガリー、英国アイルランド、帝制ドイツの覆滅、一つとしてユダヤ人が活動していない所はない。最近、ドイツナチス運動が勃興するや、ユダヤ人の手からドイツを取り返すためにヒットラーのユダヤ人排斥となったもので、それがイタリアに及ぼし、現に問題となりつつあるのは前に記述した通りである。
ユダヤ人の革命運動と関連して、見逃せないのは、フリーメーソン、一名をマッソンの秘密結社である。世間ではフリーメーソンの陰謀すなわちユダヤ人の陰謀と見なす者もいるくらいである。
フリーメーソンの存在は、もう公然の秘密で、欧米では誰もかも十分に承知している。日本では直接の関係がないせいか、よく知られていない。だが、結社員は各国にわたり、有力者を網羅し、数万ないし数百万人に及んでいる。
フリーメーソンの起源は非常に古く、判然したことは明らかでない。昔ソロモン殿堂の建築技師として有名なヒラムが創設者であるが、また、ローマ時代の建築組合がその前身だとか、あるいは十四世紀頃にあった聖堂騎士の組合がその始まりであるとも言っているが、判然たる証拠はない。
しかしウィヒテル博士の研究によると、英国における昔の石工などの職工組合から発達したものであるというのが、最も確かなようである。昔欧州各国の大建築は、王候の大殿堂を初めとして、この職工組合すなわちフリーメーソンの手にかけたものが少なくなかった。したがってこの組合は社会的に非常に勢力を有し、各国の王宮から特別な待遇を受け、組合員には一種の伝統があった。
その後十八世紀になって、この職工組合であるフリーメーソンは、当時の牧師ヤコブ・アンダーソンによって精神的に改造され、各国に普及された。そしてこのフリーメーソンは、たびたび国体破壊の原動力をなしたところから、ハンガリー、イタリア、及びナチスのドイツにおいては、その結社に解散を命じたが、依然として世界一大勢力には変わりがない。また最初はユダヤ人の入社を禁止したが、十八世紀の末葉ドイツのフランクフルト・アム・マインにおいてユダヤ人の入社を認めてから、ユダヤ人の有力会員が多くなって、今日ではユダヤ運動の別動隊のように見られるに至った。
フリーメーソンの目的は何であるかというと、
「自由・博愛・人道の言葉をモットーとして、世界をデモクラシー化し、ここにフリーメーソン主義による世界平和を建設する。」
と、いうのである。その今まで世界革命その他に及ぼした作用は少なくない。
米国における英国移民の革命的独立戦争を初めとして、フランス大革命、ロシア、ドイツ、ハンガリーなどの諸革命は、総じてフリーメーソンの活動であると認められている。例えば米国では、ジョージ・ワシントン以下代々の大統領のほとんどがフリーメーソンのそうそうたる人物で、ハンガリーのハプスブルグ王国転覆に活動した九十九%までは、ユダヤ人であったと同時にフリーメーソンのメンバーである。
支那帝国を崩壊させた孫文はフリーメーソンの巨頭であった。一九一四年六月二十八日にサラエボで暗殺されたハンガリー国皇太子フェルディナント大公に対する凶悪な陰謀に参加したタンコシック少佐は、チガノウィチと共にこの会員である。その他、ロシア国革命以下の諸革命、世界大戦後の平和会議もフリーメーソン式によったもので、ウィルソン大統領は結社員であり、国際連盟はメーソンの自由平等、博愛によるもので完全に、フリーメーソンによるものである。
そこでフリーメーソンの目的は、表面は、自由、平等、博愛であるが、その最後の目的は君主制体を廃止し、世界共通の共和国を建設することである。欧州大戦後、帝国の崩壊が多く、日本の他は、英、ベルギー、オランダ、満州などの諸国に過ぎないのであるから、日本としてはこの対策に、一応の考慮を払っておくべきである。
なお、フリーメーソンに加入している名士と国との事を書き加えておけば、英国はフリーメーソンの元祖だけに、皇室以下大部分は結社員であるし、米国は前記通りワシントン以来、マッキンレー、タフト、ルーズベルト、ウィルソン、現大統領ルーズベルトは会員であり、フランス国は大部分がそうであるし、支那では、故孫文のことは、前記通りで、蒋介石、宋美齢、宋子文、顔恵慶、王正廷、顧維鈞などが会員である。
五、ユダヤ人の人口及び財力
ユダヤ人の活動を知るには、その人的要素である人口と、その世界的分布を知ることも必要である。千九百三十五年度の調査では一千六百万人となっている。ただここで注意しておきたいのは、ユダヤ人が自ら言うユダヤ人とは、ユダヤ教を奉じるユダヤ人を指すのであって、たとえユダヤ族の人間でも、キリスト教とか回教とかに改宗した者は、ユダヤ人とは見ない。これは彼らの面白いところで、他の国民と異なる所である。例えば日本人は、その宗教が、仏教でも、キリスト教でも、回教徒でも、日本人であるには変わらない。次に掲げるのは純ユダヤ人である。
一、ヨーロッパ 九百七十三万五千八百人
居住地内訳にすると、
ポーランド 三百十五万人
ソ連 二百七十一万人
ローマ 百〇五万人
ハンガリー国以下フランス国に至る欧州の十三ヶ国は最高四十四万人から最低二十三万人の間で、その他は十万人以下である。
二、南北両米洲、五百三万人
居住地内訳は、北米合衆国の四百五十万人を第一に、アルゼンチンの二十七万人、カナダの十六万人の順序で、その他は記述する程でない。
三、アジア 九十一万八千八百人
居住地内訳は
パレスチナ関係 三十九万五千人
ソ連領アジア 二十四万人
ペルシャ 三万五千人
東部トルコ 三万一千人
その他は少数で支那及び日本には合計一万五千人と数えられ、日本は約二千人である。
四、アフリカ 五十六万人
仏領モロッコ 十一万九千五百人
アルジェル 九万八千人
エチオピア 八万人
フランス領チュニス 六万五千人
イタリア領タンケル 一万五千三百人
その他である。
五、オーストラリア洲 二万八千七百人
大体以上の通りだが、ユダヤ人は田舎に居住せず、多く都会地に居住して、その勢力が大であることを注意しなければならない。すなわちポーランド三百七十一万人以上中、首都ワルソーに住む者は三十万人、北米合衆国三百三十万人中ニューヨークに住む者は百五十万人、英国二十九万七千人中ロンドンに住む者は十七万五千人、モスクワの総人口二百二十万人中に五十万人のユダヤ人が住んでいる。
そしてユダヤ人は、純潔で多民族となかなか同化しないという所に、他種族と異なっている。
次に、ユダヤ人の財的勢力はどうかといえば、世界の富の六、七分通りを所有していると言われるのだから、全世界の金融界はユダヤ人の一声一笑で決定されると言っても過言ではない。
ユダヤ財閥の発達は、英国にあるロスチャイルド家から起こったと言えるが、このロスチャイルド家は、一七四二年にマイヤー・アムシェルという人が生まれてからであったというから二百年足らずであるが、その発達は全世界を風靡している。
まず英国から語るならば、英国の金融王で、世界経済界の中心人物であるモンターギュ・ノルマンがいる。彼は前大蔵大臣で、現イギリスオランダ銀行総裁である。彼はイギリス銀行総裁の椅子にいることすでに十五年、イギリス黒幕中の第一人者として、その神出鬼没の行動は有名である。
欧州大戦の大成金ユダヤ人サー・バジル・ザバロフがいる。彼が英国の重工業で儲けた利得は三百億と称される。
フランス国では、これまたユダヤ財閥に支配されている。パリのロチルド家(ロスチャイルド)の巨富は言わずもなが、ハンガリーユダヤ人オーラス・フィナリーがいる。彼はフランス国最大の事業銀行であるバリ・ペイバ銀行の総裁であると共に、フランス国の電気事業、石油事業、無線電信、ラジオなどを完全に支配し、大兵器製造会社シュナイデルを掌握し、独、英、米、仏、スイスの各化学工業会社と互いに協同している。
この他にフィチリーは、フランス国の大新聞ランデピープル、ルーブル、レコードパリ、プテイパリジアンの四紙を所有し、なおフランス国の地方新聞四百をその手中に収めて、その勢力たるや実に堂々たるもので、彼の会社の重役は、政治、外交、経済界の大人物がたくさんいる。
また、香水王コティーは、反ユダヤであるとのことで、後妻のユダヤ夫人から離婚金四億五千万フランを巻き上げられ、ユダヤ財閥の包囲攻撃に没落した恐ろしい話さえある。
米国財界がユダヤ系であることは、前にも多少触れた通りで、今さらにくどくどするまでもなく、映画界、新聞通信界に至るまで完全にユダヤ系である。
その一例として、アメリカ金融界の梟雄ヤコブ・シフの辣腕をもう少し観察してみる。一九一二年といえば、ちょっと古い話だが、アメリカユダヤ財閥の物語としては有名なものだから書く。その一九一二年にユダヤ財閥の横暴があまりにヒドイので、時の大統領ウトロー・ウィルソンが、検察のメスを入れる委員会を成立して、調査させたことがある。ところが、調査の結果判明したのは次の通りで今さらながら彼らの雄大な勢力に驚愕した。
一、問題の対照であるアメリカの恐怖ユダヤ銀行トラストは完全に組織され存在している
二、これは五個の主要銀行からなり、その下に百二十個の重要銀行を管理する
三、この五大銀行と百十二の大銀行とは、米国全土はもちろん、遠く海外の重大な工業、金融カルテルの支配権を完全にその手中に収める
四、この銀行の資本総額は、二百二十二億四千五百万ドル、邦価約六百億円に達する
ざっとこんな報告である。一九一二年の六百億円の富は、当時の日本国富の全体よりもさらに大で、その当時のフランス国の富九百七億円の半分以上に達している。また、英国の富千五百五十億円の三分の一強である。その富が、新しい生き生きとした米国産業界に働くのだから、手のつけようのない勢力になる。
この他に昔から有名なユダヤ資本家を挙げれば、ロンドンパリウィーンに本拠を開く世界第一の巨富ロスチャイルド家を始め、ベルリンのブライヒレーデル、ワールスチョーエル、メンデルスゾーン、米国のフレールス・ダザート、セルグマンがいる。極東では香港第一の富豪にサー・チェルチェーターがいる。上海第一の富豪にエプラ、サッスーン、ハードンカドウリなどなどがいる。彼らが日支事変で抗日蒋介石援助の行動は、何人も知る所となった。また、ブタペスト、イスタンブール、アムステルダムの大都会には、ユダヤ人富豪によって占められているのは多言を要しない。
例えば日本の輸出入貿易も、ユダヤ人の財閥に動かされるのは当然で、絹糸(けんし)は、ニューヨークのシルク、アソシエーションのユダヤ人ジアリーによって相場が決定され、日本財界の一喜一憂が決定される。例えば人造絹糸貿易もまた、ユダヤ人の手になるのである。
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以上で一通りユダヤ人問題について触れたつもりであるが、もう余白もないし、この他映画ジャズにおけるユダヤ人、上海のサッスーン財閥を中心とする対日反抗など、もう少し書き加えたいが、それは、日常の新聞雑誌にも掲げられているから、それに譲って、最後に日本のユダヤ人対策に関して一言しておきたい。
六、日本のユダヤ人対策
日本も現在までは、ユダヤ人問題にはそう触れないでも、国策を行うことが出来たし、国民もあまり関心を持つ必要はなかった。ーー内実はともかく表面ではーー、だが、支那事変をきっかけに世界的に膨張した国力は、極東の一地方的国家であるのを許されないから、嫌が応でも世界的大国家としての経綸国策を行わねばならない。それを行うには、金融関係もなおざりに付することは出来ない。そこにユダヤ人及びその財閥との接触が起こらないわけはない。ゆえに、このユダヤ人及びその財閥にどんな対策を講じるのが、日本の国策に相応しているかということを考え、その適宜の処置を取ると取らないとによって、日本の国策の上に相当重大な影響があるものとして、今から官民共に注意すべきである。
ただ、一言しておきたいのは、日本がドイツイタリアと防共同盟があるから、ドイツイタリアの例にならって、ユダヤ人を排斥するということは考えものである。もちろん、日支事変は、日本の国策に有害な行動を取る他国人を排斥するのは不思議はないが、感情的にユダヤ人排斥は、人類平等を主張する国策から見てもよくない。また、財的勢力の偉大なユダヤ人であるから、現在における日本の経済的立場から見ても、不必要にユダヤ人排斥の声を高くして、彼らを刺激するのは策を得たものではあるまい。
終わりに挿話のようであるが、日本とユダヤ民族との関係を語る。
日本民族とユダヤ民族とはかなり似ている所がある。血統を重んじ、家族的であり、祭政一致の精神がある。それに他民族に同化しないで、他国に流浪しても、一部落を作るというような点が、ずいぶん共通している。それにおそれ多い話だが、エルサレムの古城あるいはユダヤの古い山院では、多く十二弁ではあるが、我が国の皇室の十六弁の御紋章に酷似した菊花の章をつけているのを見受けるとのことである。
それで説をなす者がいる。昔ユダヤ民族が十二支族に分かれたが、その中で東方に向かって移動した一族の行方は今も不明である。この不明な一族は日本民族でないかというのである。
この事に関する研究で博士になった英人もいるとの事だし、筆者の友人で、フランスの都パリのソルボンヌ大学で学んだ人の話によると、当時の学友だったユダヤ人が、やはり日本人とユダヤ人との民族関係があること及び菊の紋章の話をしていたとのことだから、相当に広く欧米人またはユダヤ人間に流布されているらしい。この友人の話によると、一つには利害関係もない豊かな学生同士のためもあろうが、ユダヤ人は非常に親日的であると語っている。
世には様々な説があるもので、木村鷹太郎博士が、日本の祖来はギリシャから来たとかどうとか言ったし、ジンギスカンは源義経であるとか、護良親王が鎌倉で薨去されず、仙台石巻に逃れられたとか、西郷隆盛のシベリア逃亡説があるのだから、我々はユダヤ人と日本民族間になんら信じるべき科学的人種的根拠を認めることはないが、一つのお話として付加しておく。なお、ユダヤ人の問題も、更に研究しようと考える方がいれば、安江大佐や、大塚大佐の研究書もあるし、民間の著書も次々に出版されているから、それらによってさらに研究されるだろうことを望む。・・・・・(終)
編集便り
昭和も十四年となって、日本の世界的地位はますます重要になる。それと同時にその対策も面倒になるのは当然である。例えばここに述べたユダヤ人問題は、日本の新しい道路に横たわる一つの大きな問題で是非とも攻究しておく必要のあることとなった。簡単ではあるがユダヤ人問題が何ものであるかを説明し、読者の参考に供したのである。
定価十銭(送料三銭)
※援蒋=蒋介石を援助すること
参考・援蒋ルート
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%B4%E8%94%A3%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88
※使嗾=人に指図して、悪事などを行うように仕向けること。指図してそそのかすこと。
山川直夫 著『猶太人問題の全貌』,東京情報社,昭和14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1437322