ユダヤ民族と世界制覇
上原虎重
序言
最初に申し上げておきたいことは、私はユダヤ問題を専攻している者ではありません。従ってこの講習会の趣意書に書いているような権威であるというようなことはございません。だがしかし、永年外交問題を研究しておりますと、どうしてもある程度までユダヤ問題が解らないと外交現象の説明がつかないことを発見するのであります。何もかもユダヤの陰謀に帰すということは物事の真相を掴む所以でもなし、危険なことでもあると考えますが、ある程度までユダヤ問題が解らなくては到底外交問題は解らない。この意味においてこれまで見て参りましたのが私の身上でありまして、これに基づいて話をするのであります。果たして皆様のお気に召すような話ができるかどうか、そこは心もとないのでありますが、どうぞそのお積もりでお聴き願いたいと思います。
増田先生からお話しになりましたように、私の題目は『言論界におけるユダヤ勢力』ということであります。実はこの問題を簡単に引き受けましたのでありますが、後から考えてみますと非常に厄介な問題であります。言論界におけるユダヤの勢力というものは極めて明瞭でありまして疑問の余地もなければ、議論の余地もないのであります。従ってその話をすることになれば一々例を挙げて、こういう風であるということをご説明する以外に方法はない。そういうことは甚だ退屈でありますから私は趣向を変えて、ただいま増田先生からが言われましたように、前の世界大戦及びそれの解決をつけたところのヴェルサイユ条約、そういうものに対してユダヤの勢力がどういう風に働きかけたか、どういう影響を及ぼしたかということをお話しするつもりでございます。その話を進めます上において、その間に新聞及び新聞記者のことが出て参ります。ですから私が必ずしも今日の題を忘れて話しているのではないということを御了解願えれば幸甚に存じます。しかし新聞のことを最初に一言申し上げておきますが、ユダヤ人が言論及び言論機関をどういう風に見ているか、かつそれをどういう風に利用し、操縦しようとしているかということを輪郭的に申し上げて序文の代わりに致します。
ユダヤと言論機
ユダヤ民族が言論機関をどういう風に見ているかということは最も快明にプロトコールに出ております。プロトコールというものは、皆さん既にご存知かもしれませんが、これはユダヤ民族の世界征服の大陰謀の筋書及びそれを達成する方法を細かに書いたものでありまして、これが出来たのが前世紀の終わり、一八九七年スイッツルのバーゼルで開かれた第一回のシオニスト大会で出来上がったものであります。それがどうしてユダヤ人以外に漏れたか、は面白いエピソードですが、長くなりますからここでは略します。この書の中に言論機関についてこういうことを言っております。『各国政府が支配している言論機関は偉大な力を持ち、民衆の心はこれによって支配されている。言論機関は民衆の切実な要求を発表もし、不平も発表し、また時には民衆の間に不満を醸成することもある。言論の自由ということは、言論機関によってはじめて実現されるのであるが、各国政府は言論機関の価値を知らない。それゆえにそれは遂に我々の掌中に入った。我々は背後に身を隠しつつ、それによって勢力を築き上げることが出来た。また我々は多量の血を流しはしたが、これによって多量の黄金を得た。』
これは言ってみれば言論機関の価値について言っているのであります。それからもう一つ
『言論機関は厳に拘束しなければならない。文学の類いも統制の下におかなければならない。我々は印刷された思想の全ての綱を我々の手にしっかりと取らなければならない。しかしながら、我々は互いに矛盾する研究とか、論文とかいうようなものを言論機関に発表させて衆愚になんらかの幻想を抱かせるようにしなければならない。我々はゴイ(非ユダヤ人)に対して、スポーツとか博打、娯楽、劣情、そういうものを煽って彼らの注意を政治からそらすようにしなければならない。』
こういうことを言っております。これを言ってみれば言論機関の活用を説明しているのであります。これによっても判りますように、ユダヤ民族は非常に言論機関に重きをおいている。したがってこれをどういう風に現在使っているかというと、操縦法、利用法はいろいろあるのでありますが、私どもが気がついておりますことは、第一番にユダヤ人がユダヤの名義を出して新聞・雑誌を発行する、そうしてそれによって論陣を張る。第二には普通の新聞、普通の雑誌の類いを発行して、これによって論陣を張る。普通の新聞と申すのは、、『ニューヨーク・タイムス』とか『ロンドン・デイリー・テレグラフ』というものを指すのでありまして、普通の新聞でありますが、ユダヤ人の経営に属しております。第三には通信社を経営してニュースを供給し、あるいはニュースを作成する。ご承知の通りイギリスの『ルーター』、フランスが降参する前に持っておりました『アバス』というのはユダヤ人が経営しているのであります。アメリカにおいては『A・P』とか『U・P』というような大きな通信社があります。これは直接にユダヤ人が経営しているのではないけれども、間接的にはユダヤ人の勢力の下にあるのであります。第四にはユダヤ人が自ら新聞記者、あるいは寄稿家になって筆を執って議論主張などをやるのであります。第五にはユダヤ人が(主として商人でありますが)自分らのために都合の悪い議論なり主張なりをする新聞、雑誌に対してボイコットをする。不買同盟または広告を出さないとかいうようなことをする。新聞にしろ、雑誌にしろその経営は平時におきましては主として広告の収入によるのであります。
特にアメリカとか、イギリスとかいうような非常に膨大な新聞を出すところでは新聞の経営を買い上げだけで賄うことはできない。広告料によって賄う。これをユダヤ人がボイコットをする。どこの国でも一番大きな広告というものは平時においてはデパート、女の化粧品、自動車などの広告でありますが、そういう事業は大概ユダヤの手中にあるのであります。それにボイコットされると新聞の経営が不可能になるのであります。その例としては、アメリカにおいては御承知の新聞王ハースト。たくさんの新聞を出している有力者でありますが、それでもユダヤ人の忌憚に触れますと、ニュー・ヨークから出しておりました『ニュー・ヨーク・アメリカン』というのを廃刊しなければならなかったのであります。第六には自分らに不利益な出版物を買い占める。そういう例は沢山あります。このプロトコールなんかも英米では市場から姿を消しました。皆ユダヤ人が買い上げてしまうのであります。私の持っている本でロスチャイルド家の伝記を書いたものがありますが、これは第一巻を出しただけで絶版になっております。その他いろいろありますが、こういう方法でユダヤ人は完全に世界の言論をコントロールしていたのであるが、ドイツにヒットラー、イタリアにムッソリーニが出て、日本が満洲事変で連盟に挑戦するようになってからすっかりこの形が崩れてしまった。我々の方の陣営においてはユダヤ問題はすでに清算されてしまった。残っているのは惰性的に存在するユダヤ精神であります。
そこで本論に入りますが、まず第一にこの前の世界大戦とユダヤ民族というものの関係、これはどういうものであるかといいますと、あの戦争の勃発した原因はいろいろでありまして、決して一つや二つの原因からああいう戦争が起こったのではありませんが、しかしユダヤ人があの戦争の勃発に対して非常な策略をしたことを一言申し上げておく必要があります。
一九一四年六月二十八日にオーストリアの皇嗣フェルディナンド大公夫妻がサラエボで暗殺された。この凶行に当たった者が八人であったのでありますが、そのうちの三人プリンチップ、グラーベス、カプリノヴィッチの三人が最も頑強な奴であった。そうしてフェルディナンド夫妻はプリンチップの弾にあたって死んだのでありますが、このプリンチップなる者は無論ユダヤ人であり、フリー・メーソンである。それからカプリノヴィッチが捕まってから訊問されて白状したところによりますと(これはちゃんと本に書いてありますが)一九一二年つまり暗殺の前々年でありますが、フリー・メーソン・リーの会議において大公の死刑宣告ということが決定されていたのであります。なぜ殺されなければならなかったかというと、大公は非常に英邁な人でありまして、カイゼルの親友でもあった。こういう人にオーストリア、ハンガリーの次の皇帝になられてはオーストリア、ハンガリー内のユダヤ人はどうしても才能を伸ばすことはできない。つまり社会的に、政治的に自分らの野心を達成して行くことは出来ない。そこで亡き者にしてしまわなければならないというので、ついに殺してしまった。前大戦の原因はいろいろありましょうけれども、その直接の原因はフェルディナンド大公の暗殺でありますから、ユダヤ人に本質的な責任があるということは言えるのであります。
それでは大戦勃発後ユダヤ人はどういう態度をとったかといいますと、彼らは寄生している国のために皆働いている。これは我々と大分違うところでありまして、例えばイギリスにいるユダヤ人にすれば、イギリスは勝てば無論よろしい。仮にイギリスが負けたって格別困らない。というのは自分らの同族が敵側にもいるからである。ドイツなりオーストリア、ハンガリーにもユダヤ人がたくさんいるからどっちが負けても困らないということになるのでありますから、戦争の勝敗が決定されないうちは皆忠実にその国のために尽くした。ただアメリカのユダヤ人は二つに分れた。親ドイツ派と親イギリス派とに分かれたのでありますが、これも闘争あるいは確執を生じるまでにはいかなかった。親ドイツ派の連中は主に傍観的な態度であった。しかしいよいよドイツが負けるということが明らかになってからはドイツに見切りをつけて戦争の末期から政治ドイツを倒し、経済ドイツを活かすために非常に活躍しております。
戦争の利用
こういう風にして各国に分かれてユダヤ人はその国に尽くしたのでありますが、しかし彼らは同時に自分らの地位をだんだん築き上げていく。それから戦争をできるだけ利用して大儲けをしていくということでは皆共通でありまして非常な成績をあげたのであります。そういう場合にユダヤ人はどういう立場に立つかと言いますと、イギリスの方のユダヤ人は保守主義者であり、アメリカの方のユダヤ人は金権主義者である。フランスにいるユダヤ人は共和主義者で、オーストリア、ハンガリーにおいては社会主義者である。ロシアにおいてはボルシェヴィキであるというように、どこの国においても最も見込みのある色彩に自分を変えていくのであります。これが功を奏して戦争中彼らは大儲けをしたのであります。その内容を申すと、第一には莫大な富を手に入れた。アメリカが世界第一の工業国になったことでそれが説明されるのであります。第二には反ユダヤ主義であったところの帝政ロシアを倒して赤色政権をたてた。これは非常に大きなことであります。アメリカが今言ったような変化をしたのに劣らないような大きな事件であります。第三には、パレスチナにユダヤ民族のナショナル・ホームというものをつくることに成功した。第四には、国際連盟を作ることに成功した。第五には少数民族主義というものを認めさせることに成功した。主としてこの五つでありますが、第一、第二の場合はあまりにも明らかでありますから第三、第四、第五について説明を致します。
一九一六年、すなわち大戦の真ん中の年にイギリスの外務省はユダヤ民族の代表者と『連合委員会』なるものを作っていろいろ相談が進められていました。そうして六月十四日にユダヤ人側から次の四つの要求が提出されたのであります。
「第一はロシアに住んでいるユダヤ民族が政治的、社会的に課せられている悪い条件を撤廃してもらいたい。第二には、ルーマニアに住んでいるユダヤ人の権利を認めてすぐこれを実際化してもらいたい。第三には、戦争の結果各国からさき取る地域に住んでいるユダヤ人の権利について宣言してもらいたい。第四には、パレスチナに対するユダヤ人民族の歴史の権利について声明を発してもらいたい。」これはイギリスにその同盟国の内政に干渉させようというのでありまして、戦争の帰趨がいまだどうなるかさっぱり判らずイギリスとしては同盟国に気兼ねをしながら戦っている最中にこういう要求を持ち出したのであります。
それならばユダヤは何の理由でこういう要求をしたかといいますと、次のことがあるのであります。一九三六年六月十九日にロイド・ジョージは英国下院で『諸君はワイズマン氏の驚くべき科学的頭脳に我々はいかに負うところが多いかということを知っておられるかどうか分からないが、ワイズマン氏は大戦中ある時期に英軍を救ったのである。それは重砲に用いるべきある種の要素が完全に尽きていた時、氏の天才はそれを解決したのである。しかしワイズマン氏は連合国に大きな貢献をしたたくさんのユダヤ人の一人に過ぎないのである。』ということを言っております。ワイズマンという男が爆薬を作る新しい方法を発明してイギリス軍に提供したのですが、彼はどいう人物かと言いますと、一八七五年リスアニアに生まれたユダヤ人で今大体七十歳くらいですが、若い時にイギリスに渡って化学を勉強してマンチェスター大学の講師をしている中に前大戦となり、イギリス海軍省の実験室で嘱託として働いたのであります。その時に今言った恐ろしい爆薬を発見した。現在ワイズマンは何をしているかといいますと、世界シオニズム協会の会長をしております。ですからワイズマンはシオニズム運動の頭脳です。彼はパレスタイン・ジューイッシュ・エージェンシーの会長でもあります。しかしイギリスは、ユダヤ民族に負うところが多いとしてワイズマンは連合国に大きな貢献をした多くのユダヤ人の一人に過ぎないという。それならば他のユダヤ人はどういうものであったか。
第一にはウィルソン大統領の周囲にいた有力なユダヤ人であります。その、二、三を挙げてみますと、ヘンリー・モルゲンタウ、これはトルコにいたアメリカ大使です。彼はウィルソンが第一回の大統領選挙に出た時に民主党の会計の元締めをやった男です。それからブランディス、大審院の判事であると共に米国におけるシオニスト運動の元締めでした。それからバーナード・バルーク、これは有力な銀行家でもあるし、前大戦中軍需工場の委員長もやった男であります。つまりあの大戦争をやるアメリカの軍需工場をコントロールした人物であります。それからまた銀行家にオットー・カーン、大学の教授ではフランクフルターというような人々がウィルソンの側近にいたのであります。
第二にイギリス側をみると、ルーフス・アイザックス(後のレヂング侯爵)以下いろいろなユダヤ人がロイド・ジョージの側近にいたのでありますが、こういう有力なユダヤ人はどういう貢献をしたかといいますと、戦時中連合国に対するアメリカからの金融を斡旋した。それから最後にはアメリカをあの戦争に参加させたのであります。ロイド・ジョージの古い友達であるところのルーフス・アイザックスを二回にわたってアメリカに特派大使として送っているのでありますが、彼は何をしたかというと、アメリカのユダヤ人と一緒になって金融の交渉をしたのであります。ユダヤ人同志の交渉だからもちろん円滑に運ばれたわけであります。またしまいには躊躇するウィルソンを遮二無二戦争に入れてしまったのであります。
しかしユダヤ人ともあるものがこのような大貢献を無償でやるはずはない。それには代償があった。さっき申し上げた四つの要求がそれであります。ところがさっき申したようにイギリスはロシアとか、ルーマニアとかに気兼ねをしながら戦争をしている最中にそれらの内政に干渉せよというのですからイギリスとしては非常に当惑した。数ヵ月間研究をした結果外務大臣バルフォアは「ヨーロッパの全局的状況に鑑み、現在または近い将来において、六月十四日付覚書の趣旨に沿って連合国間に意見の一致をみるであろうとの希望を持たせることは出来ない」という回答をしました。そうすると間もなくえらいことが起こったのであります。右の回答がなされたのが一九一六年の終わりでありましたが、その翌年の三月になってロシアに革命が起こった。ルヴォフを総理大臣とする政権が樹立されてユダヤ人解放の宣言がたちどころに声明された。実に驚くべきことであります。しかもその革命がだんだん発展してついに赤色政権にまでなったが赤色革命のリーダー中にはアメリカからわたって来たのが相当いた。それらが皆ユダヤ銀行家のクーン・ローブの親戚ワルバーグから金の世話になっている。そういうことが判ったものだからイギリスは愕然とした。「干渉することは困る」というと「よし、それじゃこっちは革命でいく」というのである。こうして四要素のうちの一つはユダヤ民族自ら強引に解決してしまったので、イギリスは喫驚して、後の分は皆鵜呑みにしてしまった。その一つが一九一七年十一月二日のバルフォア宣言となって現れたのであります。パレスチナにユダヤ人のナショナル・ホームを作ってあげるという約束をしたものであります。これはイギリスの外務大臣バルフォアからロスチャイルドに送った手紙として発表されたものであります。この手紙はワイズマンが起草したということであります。
ルーマニアに住んでいるユダヤ人の権利確認問題は、パリ平和会議において無理強いにルーマニアに承諾させた。まるでイギリスはウィルソンと共にユダヤ民族の代弁者としてあの会議に来ていたのであります。ルーマニアのような小国として泣き寝入るの他なかった。それから戦争の結果割譲される地域内におけるユダヤ人の権利、英国はこれも無論承諾しました。これらのユダヤ人の要求がどういう経路をとって実現されたかということを説明致します。
シオニズム運動
(一)パレスチナにおけるナショナル・ホームという問題。これはシオニズム運動の表看板であります。シオニズム運動の究極の目的は世界征服であるが、まずもって精神的故国であるユダヤ(パレスチナ)への復帰運動を表看板にしているのであります。この運動はどのようにして生まれたかと言いますと、十九世紀の終わりにフランスを根底から揺り動かすと同時に世界中のユダヤ人に非常な衝撃を与えた「ドレイフェス事件」というのがあった。フランス軍隊の大尉であったドレイフェスが国防の秘密をドイツに売ったというのが問題であって、何年にもわたってフランスを動揺させた事件である。したがって世界各国からこの大事件を報道するために新聞社の特派員がたくさんフランスへ行ったのでありますが、その中に三人棒組のユダヤ人記者がいたのであります。一人はテオドル・ヘルツル、ウィンナのロスチャイルド家から補助金をもらっていた大新聞ノイエ・フライエ・ブレッセの記者である。一人はマックス・ノルドー、ベルリンのフォッシッシェ・ツァイトングの記者である。もう一人はベルリーナ・ターゲブラットの記者テオドル・ウォルフであります。この三人は毎日その日の仕事が済むと必ず散歩しながら話し合った。何を話したかというと、話題はいつでもヘルツルの持論であるところの「ユダヤ国建設」であった。その事は三人のうちの一人ウォルフが書いております。三人のうちの一番年少で、主として話を聴く方に回ったウォルフはしまいには偉くなって「ターゲプラット」の主筆になったのでありますが、そのウォルフが三人会談の経緯を書いております。このようにしてヘルツルの話が内容をそなえてシオニズムになったのであります。ヘルツルは一八九六年に「ユダヤ国」というパンフレットを出しました。シオニズムを世に問いた最初であります。その翌年(一八九七年)には第一回シオニスト大会をスイスのバーゼルに召集しましたが、ヘルツルはその時新聞記者を辞めて、シオニズム運動に一生を捧げることになったのであります。つまりシオニズム運動というものは五十年前に新聞記者ヘルツルによって生まれたものである。その計画がどういう経路をとって今日の「ジューイッシュ・ナショナル・ホーム」というものになったかということを申し上げます。原案によるとユダヤ人の「国家」を建設することでありましたが、ヘルツルはドイツのカイゼルによってこの計画を実現しようとしたのであります。彼の衣鉢を継いだ者が英米に頼って今日のようなものを作ったのであります。つまりユダヤがアラビア人の住んでいるパレスチナに這い入って、それが民族の「ナショナル・ホーム」であると称しておりまして、まことに不徹底極まるものでありますが、ヘルツルはそのようなものを作るつもりではなかったのであります。ワイズマンはバルフォア宣言を起草するに当たって「ナショナル・ホーム」という文字は使ったが、それは前年の一九一六年に英国がアラビア民族に対してアラビア国を建設してやるという約束をしているために、ユダヤ民族の国家をアラビアの一部分に建設すると書くのは穏やかではなかったからであります。しかしワイズマンの底意はヘルツルと同じくあくまでもユダヤ国家の建設にあったのであります。パリ平和会議において米国国務長官ランシングがワイズマンに『一体ナショナル・ホームとはどういうものであるか』と聞いた時に、彼は『イングランドがイングリッシュであると同じ程度にパレスチナをジューイッシュであるとさせることである』と言っているのであります。
カイゼルの対ユダヤ政策
それからカイゼルに頼ってこの計画を実行しようとしていた経緯でありますが、カイゼルは御承知の通り英帝国の東方政策に挑戦した人であります。従ってカイゼルは回教徒とユダヤ民族を利用しようとしたのであります。それで一八九八年、つまりバーゼルの第一回シオニスト大会のあった翌年にトルコを訪ねてイスラムの擁護者であるということを宣言し、さらに旅行をパレスチナまで延長して対ユダヤ政策の一環を示しました。すなわちカイゼルはシオニズム運動のヘルツルと打ち合わせてエルサレムで会見しております。もっともカイゼルをパレスチナまで引き出すことについてはヘルツルがカイゼルの側近に対して非常に運動をしたのであります。それならばカイゼルに対してユダヤ人側はどういう具体的な話を持ちかけたかといいますと、三ヶ条からなる要請であります。第一に、ユダヤ人はトルコの外債を肩代わりしてやる。各国から借りた借金を一括してオットマン・ゼットといいますが、それをユダヤ人が引き受けてやる。第二に、その代わりトルコはパレスチナに対してユダヤ人に自由を与えるところのチャーターを発表する。第三に、パレスチナをドイツの保護の下におく。そういう注文をつけたのであります。ところが当時の世界の情勢はカイゼルの思うようにはならなかった。結局ユダヤ問題をカイゼルによって解決しようとの計画は実現しなかった。ただ出来たのはパレスチナに移民を送る小会社が一つ出来ただけであった。これを見てイギリスはユダヤ国建設の地として東アフリカのウガンダをヘルツルに提供した。ヘルツルは「それでも結構だ」ということになったが他のシオニズムの指導者連中が承知しない。どうしてもパレスチナでなければいかんと言う。そうしてウガンダ説は立ち消えになったが、イギリスはユダヤ政策を放棄せず、ついに前大戦中、中途半端ではあるが一応の解決をした。それが今出来ているパレスチナのナショナル・ホームなるものであります。ところがあそこにいるアラビア人が初めからユダヤ人を排斥して、今日に至るまで両民族は戦争を続け、戦後のパレスチナ史を完全な闘争史にしてしまったのであります。
国際連盟の成立
(二)国際連盟に対してユダヤ人はどういう風に働いたかというと、国際連盟は御承知の通り四年半も惨憺たる大戦争をした後で、一意平和を確立したいという人類の当然の希望から生まれたことになっておりますが、実はユダヤ人はゴイを誤魔化して自分らのための国際連盟を作ったのであります。アメリカのウィルソン、英国のロバート・セシル、南アフリカ共和国のスマッツなどが国際連盟の産みの親ということになっているけれども、彼らはただ表看板だけのことで、国際連盟案は大戦中連合国のフリー・メーソンのロッジで研究されて出来あがっていたのであります。その証拠というような物を二つお話しします。その一つは連盟の憲法を日本語で「連盟規約」と申しております。「規約」というのは何という字を訳したかというと「カヴェ ナント」という字を訳したのである。この「カヴェ ナント」という字はユダヤの神である。エホヴァが、アブラハム、イサク、ヤコブなどのユダヤ民族の嫡流と代々契約したことになっているが、その契約を「カヴェ ナント」というのであります。エホヴァがアブラハム以下と契約したというのは嘘であります。エホヴァは元来イスラエルの神様ではない。モーゼが若い頃人殺しをして逃げて行って頼ったところのマヂャの神なのであります。モーゼの妻になったマヂャの神主の娘が、エホヴァをユダヤ民族にもたらせたのでありまして、それまではユダヤ民族は多神教を奉じていたのです。要するに旧約全書に出ている「カヴェ ナント」という字を連盟の憲法を表す字に採用しているのであります。実に言語道断な話であります。これが証拠の一つ。もう一つは国際連盟の組織でありますが、これはフリー・メーソン・リーの組織の表面に現れたものを雛形にしている。フリー・メーソン・リーの組織は各ロッジから代表者を出して総会を作る。総会は互選によって議長を選出するという風になっている。国際連盟の組織はその通りであります。ところがフリー・メーソン・リーには裏の秘密組織がある。この裏の組織が連盟にもあるか。あるとしてどういうものであるかということは勿論知られていません。しかしあると考えるのは正しい。私はフリー・メーソン・リーの組織がそのまま国際連盟の秘密組織であったろうと思うのであります。要するに国際連盟というものは完全にユダヤ人の頭から出たものである。先年死んだイギリスの有名なユダヤ人で新聞記者でもあり文士でもあったザングウィルは「国際連盟はユダヤ流のインスピレーションから生まれたものである」ということを言っているのであります。それならば何でユダヤ人は国際連盟を作らなければならないかというと、国際連盟の制度によってパレスチナをイギリスの委任統治領にし、その保護の下に自分らのナショナル・ホームを建設する。その次には少数民族契約というものを締結させ、それの監督に国際連盟を当たらせるという魂胆であります。だから国際連盟というものは普遍的な名の下に完全にユダヤ人の機関として生まれたものであります。
少数民族条約
(三)少数民族条約とはどういうものであるか。各国に寄生するユダヤ人がその国の政府に対して文句がある場合には連盟へ訴え出ることが出来るように規定したものであります。同条約の基礎をなすものはヴェルサイユ条約であります。一つの例を挙げますと、ポーランドに関する第九十三条であります。それには「ポーランド国はその多数の住民と人種、言語または宗教を異にするその住民の利益を保護するため、主たる同盟国及び連合国において必要と認める規定を該諸国との条約中に設けることを約諾する」ということが規定されております。
チェコの場合にも同様の文句で規定されておりまして、主たる連合国が少数民族条約を結べと言ったら結ばないわけにはいかない。そうして五つくらいの国はこの種の条約を結ばされております。しからば少数民族条約問題に当たったユダヤ側の策士は誰であったかというとシャン・ウルフという有名な新聞記者であります。彼は十四年くらい前に七十何歳かで死にました。彼はロンドンのデイリー・グラフィック紙の外交方面を指導したことがあります。長い間パリジュナル紙のロンドン通信員でもありました。ロンドンのユダヤ紙「ジューイッシュ ワールド」を主宰したこともあります。「ロンドン・タイムス」にも執筆したこともあります。またフリー・メーソン・リーの著述家で、ロッジのグランド・マスターでもありました。また大英百科辞典の編纂にも参加しております。こういう有力なユダヤ人が少数民族条約の締結に当たり、彼自身「ポーランド、ルーマニア、ユーゴスラビア、チェコスロバキア、ギリシャに少数民族条約を結ばせた」と言っております。しかし彼はそれで満足したわけではなかった。もう一歩進めて、いやしくも国際連盟に加入する国に対しては総じて少数民族条約を結ばせようとしたのであります。しかしそれはあまりに横暴だし、第一日本とかアメリカとかいうような大国に対してそんなことを提議したところで問題にしない。大国は国際連盟の内政干渉を許すはずはない。そこでさすがのイギリスもウルフの主張に賛成せず、結局ものにならなかった。しかしユダヤ人はルシャン・ウルフのお陰で少数民族条約の適用上非常に大きな収穫を得たのであります。つまり例えばルーマニアならばルーマニアに住んでいるユダヤ人がルーマニア政府を訴えようという場合には、例えばイギリスならばイギリスという国を通して連盟に訴えるに最初極まっていたのでありますが、ジュネーブに常在するユダヤ民俗代表から直接連盟に訴えることができるようになったのであります。つまりユダヤ民族は連盟から国家としての待遇を受けることになったのであります。
簡単にお話し致しましたが、こういう風にこの前の世界戦争からユダヤ人は非常にたくさんの収穫を得た。どの国もユダヤ人くらい利益を得た国はないのであります。だから識者は事情が判るに従って非常に驚いた。「この平和はパックス・ユダイカだ。パリ平和会議から生まれた平和はユダヤの平和である。平和条約にユダヤの条約である」という声が起こった。つまりこの前の戦争は何のことはないユダヤ人のために戦われた。そうしてユダヤ人のために平和条約が出来たのであります。そういう時に例の「プロトコール」というものがイギリスで出版された。識者の不安は非常に深くなり、プロトコールをめぐる論争は世界中で起こった。そうして皮肉にも最も代表的な論争はイギリスとアメリカで起こったのであります。イギリスにおいては「モーニング・ポスト」ぇあり、アメリカにおいては自動車王ヘンリー・フォードが自ら経営するディヤボーン・インデペンデント紙によって論陣を張ったのであります。モーニング・ポストという新聞は保守党系の大新聞であったが、ユダヤ人の憎むところとなって経営が立ち行かなくなり、デイリー・テレグラフ紙に合併されました。テレグラフ紙は当時子爵バーナムが経営していましたが、バーナムは今のイギリス皇帝ジョージ六世の祖父に当たるエドワード七世に取り立てられたレヴィ・ローソンというユダヤ人であります。彼は皇太子であった時分に非常な放蕩者であって博打とか女とかにかかりきったものであります。従って皇太子としての収入ではとても賄えない。そこで前途を見透かした連中は彼に金を用立てした。ユダヤ人らは無利息でどんどん用立てした。そのうちの一人がレヴィン・ローソンであります。そういう人物の経営する新聞にモーニング・ポストは合併されてしまった。皮肉な悲劇であります。それからフォードの方はアメリカきっての有力者でありますが、それでもユダヤ人にはかなわないと見えて、ユダヤ人に訴えられて、プロトコールに関する記事は間違いであるという謝罪をさせられたのであります。
反ユダヤ勢力の勃興
その頃からバッタリとユダヤ人に関する攻撃は現れなくなり、たまに出るとユダヤ人を非議したために罰金を課せられたとか、何とかユダヤ人に有利なものだけである。とにかく一般情勢から推測してユダヤ人の世界制覇ということは完成するのではないかと考えられたのであります。ところが、これをぶち壊す勢力が出て来た。第一はイタリーにムッソリーニ氏が出て第一着にフリー・メーソンリーの退治をした。次いでイタリアはヴェルサイユ体制外に立った。その後日本は満州事変によって国際連盟に挑戦した。それより先ヒットラー氏はドイツの政権を掌握しヴェルサイユ条約そのものに挑戦した。再軍備宣言、ラインランド進駐などがそれであります。そうして一方国内のユダヤ人を圧迫した。つまり二本建てでいった。しかしそれを押さえる力はない。イタリアをも、日本をも、ドイツをも押さえる力はない。ここにおいてせっかくユダヤ民族が作り上げたヴェルサイユ体制というものは崩れていった。ユダヤ人は一挙に非常な窮地に立ったのであります。かつてニーチェはこういうことを言っているのであります。「二十世紀の問題の一つはヨーロッパにおけるユダヤ人の運命が最終的に決定されることである。彼らがルビコン河を渡った今日彼らに残されたものはヨーロッパの主人公になるか、それともヨーロッパを完全に失ってしまうかどちらかである。それはちょうど彼らが太古エジプトにおいて立たされたところの立場と同じである」と。旧約全書の中にある通り、モーゼがユダヤ人を連れて逃げ出す前にユダヤ人はエジプトにおいて非常な勢力を持っていた。あまりの大勢力であったためにファラオは彼らを圧迫したのである。ヨーロッパにおけるユダヤ人の地位は太古のエジプトにおける勢力に匹敵するものである。それで彼らは今再び運命の岐路に立たせられたのであります。
米国におけるユダヤの勢力
ところがヨーロッパのユダヤ人よりも、もっと大きな問題としてアメリカのユダヤ人問題が人類の前途にその怪異な姿を現したのであります。彼ら米ユダヤは世界ユダヤ民族の主力となって、アメリカの富源及びアメリカ人の野心に乗じて民族的運命を立て直そうとしているのである。これをもっともよく説明するものは現在ルーズヴェルトの周囲に集まっている有力なユダヤ人の一団であります。先刻ウィルソン周囲に集まっていたユダヤ人のことを申し上げましたが、その連中よりもさらに強いユダヤ人の一団がルーズヴェルトを取り囲んでいるのであります。第一に指を屈しなければならないのはアメリカのユダヤ人の大御所パルークであります。前大戦中軍需工業委員長をやったバーナード・パルークであります。仮に彼が表面に出なくても実際どういう勢力を持っているかということは我々に判っているが、どういうわけか最近アメリカの政府顧問というものに任命されました。その次にウィルソンの親友モルゲンタウの倅が現在大蔵大臣をやっております。それから大審院の判事がフランクフルターで、彼は大審院におけるユダヤ人の伝統を継いでいる。それからルーズヴェルトの人事に対して非常な干渉権を持っているローゼンマン、武器貸与法の執行官であるステッチニュースなどのユダヤ人であります。『ユダヤ人のアメリカ発展』という本を見ますといかにユダヤ人が各方面に出ているか、彼らの陣容がどういうものであるかはよく判るのであります。勿論ユダヤ人としては現在は稀有の受難時代でありますが、同時に我々他の人類にとっても自由を維持することができるか、それとも失うかという岐路に立たされているのであります。しかしこれは宿命的であります。
寄生国家の利用
ユダヤ人は自ら神の選民をもって任じている。従って当然世界に君臨するものであると考えております。しかし国家もなければ、武力もないユダヤ人としてはどうして世界に君臨するつもりかというと、いくつかの段階を有する複雑な陰謀によってそこに到達しようとするのであります。第一には、寄生している国の中の大強国に依頼する。この手段は彼らが昔から今日に至るまで取って来た伝統的手段であります。例えばバビロニアに島流しにされている時にはペルシャのサイラスによって、彼に助けられた。その後歴山大王により、トレミーにより、ローマにより、スペインに頼った。十五世紀の末に三十万のユダヤ人がスペインから追っ払われた後には世界第一の海軍国オランダに頼った。その次はドイツに、その次はイギリス、今日はアメリカに頼るというように、彼らは必ず当代一流の強国を選んでその威力に乗じて素志を遂げようとする。第二の方法は自分らの寄生している国において経済的に、政治的に、社会的に自分らの位置を進めていく。そのためには寄生国の組織を変えていかなければならない。彼らはその手段として色々な手を使うのでありますが、人間の持っている最も低級な本能に乗じてやる。nそうして国家社会を蝕む。あるいは黄金の力によって蝕むというようなことをやる。それでもいけなければ革命をやる。これを具体的に言いますと国際的には強国の陰に隠れて独占的に世界を、あるいは人類をエキスプロイトするが、それが出来なくなれば戦争をやる。また国内的に言えば自分の地位を変えていくために既成国家、社会を蝕むが、それが出来ない場合には革命をやる。実に人類のために危険千万な話ですが、彼らが自分達は神の選民であるという考えを持っている人間を抱えているのは実に物騒千万であるけれども、どうやむを得ない。
ユダヤ力の淵源
しかし世界中のユダヤ人の数は一千六百万くらいである。そんなわずかなものがどうして世界の危険を構成することが出来るか。色々な説明があるでしょうけれども、私はここに二つの原因について考えてみる。一つは、彼らに国がないということであります。国がないということは一見非常な不幸でありますけれども、しかしながら彼らのような民俗にとっては国がないということは一面においては非常に有利なことです。それは国防の責任を持つ必要はないからであります。独立国家の担う責任の中で、国防及び戦争の責任は最も大きなものであります。それから彼らは解放されているのであります。昔彼らが国を持っていた時分には年がら年中内紛に耽り、まことに治まりの悪い国でありました。ところが国を失ってからの彼らは国家の経営に苦労する必要なく他の国に向かって勢力を集注することができるようになりました。もう一つは、彼らは民俗として非常に鍛えられているからであります。恐らく民族的にこれくらい鍛えられている民族はない。彼らの試練はネブカドネザールに滅ぼされた時からはじまっているのであります。郷国から離れて四散したものですから、民族的団結を維持するためには手紙その他の文書によらなければならない、というので彼らは物を書く。従って物を考える力を養ったのであります。次に、やはり国土から離れたために土地から生活の糧を得ることが出来ない。他の方法によって生きて行かなければならない。そこで彼らはバビロンにおいて商才を発揮するチャンスを得た。バビロンは当時大帝国の主府であると同時に世界の大商都であった。そこで彼らは寛大な治下におかれて十分に商才を発揮することが出来たのであります。もう一つは国家と神殿を失ってしまったものですから彼ら自身が民族の代表者であり、一人一人が宗教の代表者であるという確信を持つようになった。しかもバビロン以後の彼らの歴史を見ると、今言ったように商才を するとか、あるいは思索力及び文才を養うとか、あるいは個人的に鍛練するとかいうようなことを維持するばかりでなく、さらに一層錬磨するような機会を次々に得て来たのであります。そのために千六百万万人ばかりの小民族が人類の深憂大患となり得るのだと考えるのであります。そういう者がユダヤ人でありまして、敵陣営内の一主力をなすものであります。そういうものと戦って勝ち抜くためには、我々はよほど深い覚悟を持ってかからねばならないと思うのであります。(完)
(七月二十五日ユダヤ問題講習会講演)
国際政経学会 編『猶太民族と世界制覇』,国際政経学会,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1436920